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2017年6月6日火曜日

死生観

おすまし写真
小型犬を長年飼い続けている人を知っている。自分が猫を飼うまではペットの寿命なんて知らなかったので、およそ3〜4年でその家の犬が寿命を迎えるのを見て「小型犬って長生きしないのねぇ」と思ってた。今ならわかる。んなこたーない

ポメラニアン15才、ひ弱そうなチワワだって13才。むしろ小型犬は大型犬に比べても長生き傾向だという。小型犬の4才つーたら人間年齢に換算して30代というのだから驚きだ。なんという早逝。飼う犬全てがなんでそんな早死にしちゃうの?という目で見ると成る程、人間の食事だろうがおやつだろうが犬がそばに来るとその人は「この子、人間のものを欲しがるから〜」と与えていたなぁ…歴代ワンちゃんの大半は最後は糖尿病になっていた。「留守番はかわいそうだから〜」とどこへでも連れて行き、なのにレストランで食事する時は車中でお留守番させて(そーゆー時はかわいそうじゃないんだね)熱中症で死なせてしまったこともありましたね。
自分がペットを飼うようになって人間の食べ物を動物に与えてはいけない、自分の都合だけで可愛がってはいけない、そうしたことを学ぶにつれて知人の飼い主モラルの欠如に呆れたし、懲りずに流行の犬種を選んで購入してくる様子を見て嫌悪感が募り、なんだかんだで距離を置いてしまった。

だけど最近ちょっと考える。昭和のペットって今ほど寿命は長くなかったな、と。人間の残飯をエサにして与え、具合が悪くなっても病院になんか連れて行かない。しつけ?動物相手にナニ言ってんのミャハ。おそらく知人はその昭和スタイルを踏襲し続けたのだな。←最後の方はほぼ偏見だ(^^;)
我が家の愛猫が病気になり病院通いの今は思う。他のエサを欲しがっても療養食を食べなきゃだめ!嫌いな病院もいかなきゃだめ!とダメ出しされながら少しでも長生きすることを願われるこの子と、たとえ短命に終わっても飼い主に存分に甘やかされて過ごせた生き方と、どちらが動物にとって幸せなんでしょうね。
シンクロにゃんず
例えば苦しみが軽減されたり、症状が改善される治療なら受けさせてあげたいと思う。
どうせいつか死ぬんだから病院行って長引かせるのは忍びないと思う人もいるんだろう。逆に「絶対死なないで!」という無茶振りのために病院に駆け込む人もいる。
死なさないためだけの延命は自分の身に置き換えても無理だと思う。このあたりの治療の判断はその人の死生観に依るし、また信頼できる獣医さんに相談ができないと難しい。
おまけ
ノラ猫の宿命に真剣な眼差し
獣医によってはうちではもう見られないと放り出されるケース、はいはい預かりますよからの死にましたよ連絡で終了ケース、安楽死を奨めるケース、安楽死を認めないケースetc.本当に様々なケースが考えられるようです。ベストなのはもちろん「今こういう状況で今後はこうしたことが考えられる。できる処置としてはこれかあれか」と説明してくれる獣医さん。それでも実際にどうするかを決めるのは飼い主にしかできない。それが飼い主の責任 (獣医さんが全部決めてしまうケースもあるようですがそれも含めて全ては巡り合わせ)。

信憑性は疑わしいが終末医療の現場で患者が見る夢の聞き取り調査というのがあったそうだ。死んだ身内やペットが夢に現れる頻度が死期が近づくにつれ増えるという。そうやって無意識のうちに人は自分の死を受け入れる準備をしているのではないかという話だった。突然の事故や急病では事情が違うが、例えば高齢者が入退院を繰り返すうちに徐々に見送る方も覚悟が決まってくるなんて話もある。生死を行きつ戻りつする時間というのはもしかしたら死の恐怖を克服するために必要な時間なのかもしれない。

なんて、まさか自分が死ぬ時のことを想像されてるなんて思いもしない愛猫は、今私の膝の上。生き物は命ある限り、生きることだけ考える。

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